
【編集途上に付き・・・・】
「キリング・フィールド」 1984年・英国
生まれて初めて映画を見て号泣した思い出の作品。日本での封切りは1985年。当時、まだ大学生だった私は、この映画を見て戦争・紛争に対する考え方が一変した。
197?年、カンボジア。 ニューヨークタイムズの記者であるアメリカ人、シドニー・シャンバーグは、カンボジア人のガイド兼通訳、ディス・プランと共にベトナム戦争の余波が迫るカンボジア国内で取材を重ねていた。197?年、クメール・ルージュの攻勢により首都プノンペンは陥落寸前となる。危機迫る中、国外退去する米国領事と米国民の一群を迎えに来た大型ヘリコプターの大部隊。ふたりはその一群にプランの家族を乗せることに成功する。
そして首都プノンペンにクメール・ルージュの部隊が入城して来た。シャンバーグと仲間の外国人記者は、市民病院の取材中にクメール・ルージュの一派に拘束され、危うく処刑されそうになる。しかし、プランの機転により開放・・・。身の危険を感じたふたりは、記者仲間と共にフランス領事館へと避難するが、そこには他国の要人、市民と共に旧カンボジア政府の要人も紛れ込んで避難していた。そして領事館の外では旧政府の要人狩りが始まる。このままプランを外に出すわけには行かない。シャンバーグと記者仲間は、あの手この手を使ってパスポートを偽造し、プランをフランス国籍に仕立て上げようとする。しかし、万策尽き、プランはクメール・ルージュ拘束されてしまう。それっきり、プランの消息は途絶えてしまう。
母国への帰国を果たしたシャンバーグは四方八方に手を尽くしてプランの行方を掴もうとするが、杳として行方は掴めない。
その頃、プランはクメール・ルージュの強制収用キャンプで過酷な土木作業に従事していた。そこは旧政府に関連のあった人間と判断されれば、翌日には消えてしまう気の抜けない場所。いわゆる“キリング・フィールド”であった。
この映画の賛否は大きく分かれるところとなっている。「事実である」「全くの嘘八百だ」
いずれにしても描かれている内容が真実か否か?という点において、議論がなされており、映画の見所と思われる点、以外の論争のようだ。
もっとも、この映画の伝えたい事にプルポト派の傍若無人ぶりが含まれているのだから仕方がないのかもしれない。しかし、私の考えるこの映画の見所は、そのリアリティさにある。全編、記録映画を思わせるようなタッチ。アクション的要素は一切無い。一部には当時のニュース映像を使用しているのでは?とさえ錯覚してしまう程だが、実際は全て本作品の為に撮影された映像だけだという。
ひとたび紛争が起これば、我々一般市民はいとも簡単に、当時カンボジアで起こったような状況に巻き込まれる。スターリンの大粛清と同時に行われたモンゴル粛清、中国の文化大革命、ルワンダ虐殺・・・しかりである。正確に言えばこれらの行為は、時代背景が異なるため、同一視することは出来ないかもしれない。しかし、一市民レベルで考えた場合、国家権力であろうが武装勢力であろうが、市民の生活が暴力によって奪われ、理由も無く命が奪われて行くのは同じだ。
戦争とは政府という組織が大義名分を与えた殺戮である。これを学んだのがこの映画である。
ハイン・ニョル自身の体験談「キリングフィールドからの生還」を読めば、描かれている内容はあながち嘘では無い様に思うのだが・・・
【編集続く・・・】