朝ドラ「おひさま」と両親の戦争体験

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戦時下の着衣への名札付けは義務か?!


 私がそもそも、このサイトを作成しようと考えたきっかけは、ネット上のとある意見だった。その意見は戦後生まれの私ですらショッキングに感じられた。
 それは戦時下の陽子(井上真央)の服装の、上着に名札が縫い付けられていなかった点に関するものだった。戦時下では、空襲で被災した際に身元を明らかにするため、住所と名前を書いた名札を胸の位置に縫い付けていた。

 名札の縫い付けが初めて出てくるのは、第11週「戦火の恋文」第65話。陽子が新しい組を受け持ち、東京からの縁故疎開で安曇野にやって来た倉田杏子(大出菜々子)ちゃんが登場する回である。意図的な設定だろうか?組全員が名札を付けているわけではない。しかし、教師全員、そして義母、徳子(樋口可南子)ですら名札を付けている。
 私自身も放送を見て陽子の上着に名札が無いのを不思議に感じたが、それ程、深くは考えていなかった。

 その後、ネット上では、絶対におかしい、ディレクターのミスだ・・・という意見を含め、様々な意見が見受けられた。ある意味、いろいろな考え方があって良いと感じていたのだが、その中に私の目を引く一つの書き込みがあった。「陽子は裁縫が苦手だから縫い付けなかったんじゃないかな・・・私はそう思うようにします。」というものである。年齢・性別は一切不明。子供の書き込みだったのかもしれない。

 私はこの一文を読んで少し怖くなった。陽子は極端に裁縫が苦手な設定にしてある。しかし、当時、苦手だからという理由で物事を避けて通ることが可能だったのか?私の常識では到底ありえない発想だった。それは、一個人が“戦争反対”と発言できる時代だったのか?という点へ続く最も基本的な話だ。悲しいかな、戦時下の記憶はここまで薄れて来ていると思えた。

 しかし、それにしてもなぜ陽子の上着には名札が縫い付けられていなかったのだろうか?改めて考えてみると、私自身の知識も曖昧だ。名札は全ての人が強制的に縫い付ける必要があったのか?それは必ず上着に縫い付けられていたのか、それとも肌に近い着衣に縫い付けられていたのか?都市部と地方ではどうだったのか??など、疑問点は数限りない。「おひさま」を見て私自身が疑問に感じたことを、その都度、両親に聞いてみることが続いた。

 結論から言うと名札は比較的肌に近い着衣に縫い付けるもので、外套などの上着に縫い付けることは無かったという。母の郷里である佐賀県三養基郡では空襲の危険も少なかったため名札の縫い付けは自由だったようだ。父に至っては学徒動員以外で付けた記憶は無いとの話である。父の郷里は肥前町だから、まず、空襲の心配は無かった。恐らく大都市附近では事情も違ったのだろう。このように同じ戦時下でも都市部と途方では雲泥の差があり、時代考証としてはどちらも正しい。

 では、当時、安曇野はどうだったのだろう?資料も証言も無いので推定するしかないが、恐らく父の郷里の肥前町と似たような状況だったのではないだろうか。もし、そうであったとするならば、着衣に名札が縫い付けられて無くとも時代考証としては正しい。しかし、ドラマの中で当時の世相を連想させるにはツールとして名札の縫い付けは、逆に時代考証としては必要になってくるのだと思う。

 その後、「おひさま」の録画を詳しく検証してみたところ、続く第66話で陽子の名札はブラウスに縫い付けられいることが判った。結果的に両親の話と一致するものだった。ある意味、時代考証に忠実であった故に発生した議論だったのかもしれない。しかし、仮に製作ミス側のであったとしても、それをミスだと視聴者が判断できれば良いと思う。

 一方、誤った時代考証をそのまま当時の常識だと思い込んでしまったら・・・それはとても怖いことだと思う。両親によると「おひさま」での洗濯シーンには決定的なミスがあるという。この点は神戸新聞のイイミミ(投書欄)にも載せられていたそうだ。

 そのシーンでは衣類を直接、洗濯板にゴシゴシと擦りつけていたらしい。そんなことをすれば直ぐに衣類が破けてしまう・・・と両親は言った。これは男性の父ですら知っている常識だという。このシーンが第何回だったのか?私は全く気が付かなかった・・・というより、私自身、両親から聞いて初めて洗濯板の正しい使い方を知った。

 正しくは、洗濯板に衣類を広げ、洗濯板の溝に溜まった石鹸水を布地に浸して、布地同士を擦り合わせて、ゆすぐ様に洗うのだという。

 録画を確認すると、放送直後の第7話での陽子の洗濯シーン、第73話の須藤・父の洗濯シーン、第111話で陽子がおしめの洗濯シーンが、まさに洗濯板に布地をゴシゴシと擦り付けている。しかし、 第144話では陽子は正しい洗濯法を行っている。第7話から第144話までには約5ヶ月間の期間があるので、視聴者の指摘が取り入れられたのだろう。



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