
【編集途上に付き・・・・】
2014年は“ゼロ戦ブーム”なのだという。宮崎駿監督の「風立ちぬ」と、この度公開の映画「永遠の0」公開の影響らしい。
「風立ちぬ」の項でも書いたが、今、書店には零戦や堀越二郎関連の書籍が並び、零戦プラモデルの売れ行きも好調だという。これらのブームの原因ともいえる小説・映画の当時の描き方が起きているのだろうか?
映画やドラマにおける昭和初期の時代考証や戦争の描き方に関して重要なテーマであるから、やはり見る必要があると考えていた。
まず、感じたのが「永遠の0」というタイトルである。ストーリーは「零戦搭乗員」が特攻で
映画を見る際の自分なりの視点
感動を得るためのアイテムか?歴史を考えるためのツールか?
国民の生活を犠牲にしながら、戦争という手段を用いて外交上の問題を解決することを選択した政府に対し、批判を感じるものであれば良いのではないだろうか?
戦争はいけない>特攻は自爆だがテロではない?>自爆テロは愚行である。
零戦は世界最高水準だった。
特攻作戦の美化。
架空戦記のパクリ。
姉弟の視点が自分と重複する点
日本映画チャンネルのシリーズと比較して。映像再現。似たシーンアングル、多々あること
風立ちぬとの比較。
堀越技師をモデルにしていると言わなければ、全く関係のない航空技師のストーリーとも取れる内容だった。
同様に、なぜ零戦なのか?零戦搭乗員の話だというだけで、零戦そのものがストーリーの中心には無い感じを受けた。
極端な例を考えると、「俺は、君のためにこそ死ににいく」を「空を舞う隼・・・」等と
原作者の百田尚樹氏も語っている通り、零戦搭乗員を通した太平洋戦争ダイジェストであり、それを孫の世代が調べる。
信じがたいシーン
腹筋、心神喪失状態の主人公、同士討ち
【編集続く・・・】