
生まれて初めて劇場でアニメを見た・・・題名は「風立ちぬ」。
零式艦上戦闘機の開発者、堀越二郎氏の半生をモデルとした、宮崎駿監督の作品である。
【劇場にて】
今、巷では「風立ちぬ」と「永遠の0」効果で“ゼロ戦ブーム”が起きているのだという。書店には零戦や堀越二郎関連の書籍が並び、零戦のプラモデルも売れ行きが好調なんだそうだ。また、物語に登場した“シベリア”という昭和初期に流行したお菓子を買い求める人も増えているという。
どのような描かれ方により、これらのブームが起きているのだろう?当サイトでは、映画やドラマにおける昭和初期の時代考証を重要なテーマとしているから、そのテーマに則った形で、この作品を見てみたいと考えた。
宮崎駿監督のアニメ作品というと、少しオタクっぽいイメージがあり、50歳になろうかというオッサンが独りで劇場まで足を運ぶのには、いささか決断が必要だった。
いざ座席に着いて周囲を観察してみると、予想通り、観客は家族連れか中高生ばかりである。しかし、独りで来ている中年男性の姿もちらほらと見られ少し安心する。
やっぱりこの人達は宮崎アニメが熱烈に好きなんだろうなぁ・・・と思う反面、自分がそう思われているのでは?という妙な罪悪感のようなものを感じながらの鑑賞であった。
【アニメの自由度】
やはり特筆すべきはアニメの自由度だろう。バックに描かれている大正末期~昭和初期の農村や街の風景は非常に素晴らしく、申し分が無い。特に感じたのは未舗装の土の道が、多数登場していることである。
都市部において未舗装の路地が消滅して行く現状では、ロケハンにも限界があり、実写映画で未舗装の路地を登場させるのは、大変、難易度の高い作業となる。それをアニメでは、いとも簡単にクリア出来るだ。それを強く実感した作品であった。
また、アニメとはいえ、スタジオ・ジブリの手がける作品の背景画のクオリティの高さは芸術品レベルであり、実写に負けず劣らず、十分に満足できるものであった。
ジブリ作品だけに絵は美しい・・・。
それは「となりのトトロ」の背景画を担当した男鹿和雄氏の個展が、今なお催されていることからも、ジブリ作品のクオリティの高さが理解できると思う。
「風立ちぬ-原画展」も、既に好評を博しているという。個人的にも、画集「ジ・アート・オブ 風立ちぬ」は買うだけの価値はあると考えている。
悪い例として使いたくはないが、サザエさんやドラえもんに描かれている背景は、私が現役で放送を見ていた昭和40年代から全く変らないものだが、画像のクオリティという点では低いと言わざろうえない。ちょっと比較が強引な引き合いで申し訳ないけど。
ちなみに冒頭で書いたほど、私は宮崎アニメに対して拒絶感を持っていない。
代表作である「となりのトトロ」は、DVDで100回以上は見ていると自負している。
「となりのトトロ」では、昭和30年代の東京郊外の風景が見事に表現されている。私はこの作品を見る度に、小学生の頃、父や母の郷里である佐賀に帰省した時のことを思い出す。
英語吹き替え版も素晴らしく、英語の聞き取りのトレーニングには持って来いの作品であったりもする。
【航空母艦】
さて、物語の中盤に登場する航空母艦であるが、日本の・・・いや世界の空母の草分け的存在である「鳳翔」の、艦橋撤去改修後の姿である。また、艦載機は、第一次上海事変で海軍航空隊で初の撃墜戦果を挙げた「3式艦上戦闘機」だ。
思うに、この3式艦上戦闘機の戦果は、全通飛行甲板が装備された現代型航空母艦としての、世界初の戦果ではないかと考えられる。(※引き続き、確認中)
では当時、鳳翔に搭載されていたのは本当に3式艦上戦闘機だったのだろうか?少しそんなことを考えてみた。
物語で航空母艦が登場するのは、堀越二郎が7試艦上戦闘機の開発に携わる直前の、昭和7年~8年の設定となるように思うのだが、調べてみたものの明確な答えは得られていない。個人的に鳳翔の艦載機は、第一次上海事変直後の昭和7年後半には、既に90式艦上戦闘機に移行されていたのではないか?と考えている。
【大叔父に関連する事】
私の大叔父は陸軍第67期操縦学生(昭和12年)である。
それは「風立ちぬ」の時代より少し遅いのだが、大叔父に何度か見せてもらった当時の写真の記憶を辿ると、昭和初期の陸海航空隊の状況が偲ばれ、共感を感じる。
当時の有名な逸話として、今では考えられないような面白いエピソードがある。
大叔父がノモンハンで救助した戦隊長、松村中佐が、まだ大尉だった昭和10年のことだ。
3月のある日、突如、海軍横須賀飛行場に陸軍の91式戦闘機が降り立つ。
操縦していたのは、当時、まだ大尉であった松村黄次郎・・・。
“源田サーカス”と呼ばれ、全盛を誇っていた海軍横須賀航空隊に模擬空中戦による果し合いを申し込んだのであった。この果し合いの申込みは、個人的にではなく、明野飛行学校を挙げて・・・であったようだ。
この模擬空中戦による果し合いの話は、とんとん拍子で規模が膨らみ、ついには陸軍、海軍を挙げた合同空中演習へと進んで行く。そして1ヵ月後、陸軍明野航空学校を会場に、海軍の90戦×陸軍の91、92式戦闘機による模擬空中戦が行なわれた。
結果は全て海軍側の圧勝・・・その後も何度か合同空中演習は行なわれたようだが、やはり海軍側の圧勝だったらしい。
まるで果し合いようなエピソードから発展した、陸海合同の空中演習であるが、このような合同演習が、その後も続けて行なわれていたならば、その後の政局はどうであったろう?私は、その後の日本の針路がまた少し違っていたように思えてならない。
【牛車】
物語では、牛に引かせた台車でテスト機を飛行場まで運ぶシーンが何度か出てくる。
いかにも貧乏国日本を表現したシーンであるが、しかし、実際には牛に台車を引かせるのには別の側面もあったようだ。
兵庫県加西市には戦時中、姫路海軍航空隊鶉野飛行場があった。飛行場の西南には、川西航空機・姫路製作所鶉野工場があり、「紫電」「紫電改」が造られていた。
この先は聞き伝の話になるが、やはり鶉野飛行場でも、「風立ちぬ」同様、牛に引かせた台車でバラバラの飛行機を運び、飛行場で組み上げて部隊に収めていたという。
当時、既に大型のトラックやトラクターなどもあったらしいが、実は、道路事情が悪く、トラックなどで運ぶと振動で機体が損傷する恐れがあったため、あえて牛に台車を引かせたのだという。牛のゆっくりとした歩みが、組み上がる前の機体を飛行場まで運ぶのには適していたということだ。
もちろん、この話の裏には燃料の不足などの要員もあったのだろうと思う。裏付けを探してネットで色々と調べてはいるのだが、現在のところ見つかっていない。
【やはり宮崎駿は零戦好きなのか?】
私は「風立ちぬ」を見た後、しばらくの間、自分なりの答えが出ないでいた。その原因がラストの1シーンだということがわかったのは、しばらく経ってからのことだった。
「風立ちぬ」は、堀越二郎の少年期から9試艦上戦闘機の成功までの逸話を主軸に、関東大震災で出会った女性、菜穂子との悲恋を絡めて描かれている。
見た直後、私は何かしら感じる違和感を払拭できなかった。そして次第に、堀越二郎を宙に浮かせて、恋愛ストーリー単体で物語を見つめることにより、自分自身の中で素直にストーリーを受け入れることがきる事がわかってきた。
つまり、この話は、別に天才航空技師・堀越二郎でなくとも、昭和初期の若い航空技術者の話で良かったということである。
ではなぜ実在の人物、堀越二郎でなければならなかったのか?
それはやはり宮崎駿が零戦とその開発者が好きだったから・・に尽きるように思う。
物語のラスト、戦後の廃墟から始まる夢のシーンで、カプローニが二郎に向って「君の零戦だ・・」と語り、零戦の編隊が空の彼方に飛び去るシーンがある。
もし、人間・堀越二郎を描きたい作家がいるとすれば、零戦の登場は不可欠だとしても、戦後に手がけることになるYS-11も必ず登場させるはずだ。
YS-11は堀越二郎が手がけた戦後復興のシンボル的旅客機である。それを差し置いて、「君の飛行機だ・・・」と言って、零戦で話を終わらせてしまうのは、やはり宮崎駿にとって堀越二郎は、「堀越二郎は零戦も開発した・・・」ではなく、「零戦を開発した堀越二郎・・・」だったからではないか?
思うに航空設計者である堀越二郎にとって、零戦とは未来のYS-11へと続く、悲しい通過点だったはずだ。零戦の編隊は搭乗員の影と共に空の彼方へ消えて行き、未来に微かなYS-11の影が見えなければ、堀越二郎を主人公のモデルにする意味は無いと思う。
それにしても背景に描かれた大正~昭和初期は美しかった。しかし、忘れてはならないのは主人公、その他登場人物は、一介の庶民ではないということだ。国家クラスのトップエリートの話なのである。
二郎が幼子をおぶる娘に“シベリア”を与えようとして拒絶されるシーン。それが庶民の現実だったのだ。そのことを忘れないようにしなければ・・・と思う。