朝ドラ「おひさま」と両親の戦争体験

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時代考証はどこまで追求すべきか?!


 このサイトの作製過程で改めて考えたのだが、時代考証はどの程度まで正確性を追求し、また許容すべきなのだろうか?もちろん完璧に当時を映像化できればそれに越したことは無いが、それは現実には不可能である。

 近年、家庭用ビデオの普及により、映像を繰り返して見ることができるようになった。その結果、時代考証のみならず、あらゆる場面に於いて、映像の「精度・・」が求められるようになってきた・・・と感じる。昔であれば、映画館で映画を見ても、各シーンは一瞬で過ぎ去って行き、脳裏に記憶が残るのみであった。であるから、重要な部分はともかく、各シーンの細部はそれなりの雰囲気が維持できれば良かった。これは「手抜き・・・」という意味ではない。「そのように見せる・・」ための、映像・美術スタッフの技術だったわけだ。(現在でもそれは同じで、本物を再現する必要はどこにも無い。)

 一方、現代ではDVDなどの普及によって自宅で繰り返し映像を見ることが可能となった。そのため、アラがあればおのずと目に付いてしまう事になる。結果として、作品の本題とはかけ離れた部分で、重箱の隅を突くような批判が増えてしまう傾向にある。

 このサイトを製作過程で色々と調べた結果、「自転車通学の是非」「着衣の名札」「軍服の善行章」など、それぞれが「有っても無くても正しい・・・」という事実が判明した。
戦前に自転車通学をしていた女学生が居たのは事実だし、着衣に名札を付けて無い市民も居たし、古参兵にあっては時代の異なる善行章と階級章が同時に存在した・・・のだ。 つまり、本文にも記述したが、時代考証としては両方が正しかった。

 つまりこういうことである。「ドラマではこうだったが、実際はこういうのもあった・・・」それを視聴者が知識として知っていれば・・・相異が許容範囲と感じられれば・・・問題は起こらない。深刻なのは視聴者が、それが真実だと信じ込んでしまい、歴史的事実が歪曲されて行くことである。そうならないためにも、制作者側は視聴者が理解できる映像を意識して創らねばならない。

 例えば黒沢明監督は、とあるシーンの青空を撮影するために、何日間もスタッフその他・関係者をロケ現場に待機させた。その間の経費が莫大となり映画社の経営を圧迫した逸話は有名である。当の青空のシーンであるが、今、私が見ても、なぜその青空でなければならいのか?その理由がわからない。現在であれば、監督のイメージする青空を映像化するにはCGが大活躍するはずだ。

 もちろん、細部まで作り込まれた黒沢映画を否定する訳ではない。俳優陣には、役柄で着る衣装(帯刀を含め)を着用させ、長期間、共同生活してもらったという。それにより、並みの映画では見られない、滲み出るような自然な着こなし、所作が生まれた。これは、黒沢監督が初めて映画製作に取り入れた行為だ。しかしながら、こういった細かな工夫も、視聴者の理解が得られなければ、それはある意味、監督の自己満足、エゴでしかないのだ。

 結局のところ、時代考証に大切なのは、視聴者が理解できる内容になっているか?に尽きると思う。
つまり、戦前の知識が無い視聴者に対して、とある事象が事実であっても、それを理解させるには、直接の表現だけではなく、ある程度の工夫が必要になるということだ。
細部のこだわりがいかにあろうとも、結果として視聴者に誤解を生んでしまえば、それは製作者側の独り善がりでしかない。その為にも、製作側裏日記の様なサイトを充実させて、視聴者をフォローすることも必要だし、場合によっては場面をカットすることも必要となるだろう。

 以下は、タイトルから逸脱するが、後のUPに入っている「永遠の0」「この世界の片隅に」「キリングフィールド」について少し書いてみたい。

【 永遠の0 】
 この作品は「永遠の0点(駄作)」と断言する。これほどの駄作が、なぜこれほど世間の注目を浴びるのか?理解が出来ない。戦史的なものに全く興味が無い複数の知人が原作を読み、映画を見て感動したと言っている。恐ろしくなるばかりである。
中でも以下のシーンは、当時の常識を考えれば有り得なかったと考える。
①南方の戦場で、深夜、過酷なトレーニングに励む主人公
 連日、過酷を極めたラバウル航空戦にあって、帰還後、深夜に過酷なトレーニングに励むなど、あってはならないシーンといえる。片道3時間、往復6時間の操縦に加えて空中戦を行っての帰還。それが延々と毎日続くのである。スポーツサプリメントも無い時代である。過酷を極めた航空戦の状況が全く理解できていない、製作者側に憤りさえ感じるシーンである。こういった逸話があるのであれば、何らかの形で情報の出所を公表すべきだろう。
②後半、心神喪失となり、引きこもりがちになった主人公を、戦闘に参加させる点
 空中勤務者よりも戦闘機が大切にされた時代、心神喪失になっている空中勤務者を出撃させ、むざむざと落とされることがあってはならない。空中勤務不適格者は後方勤務となるのは常識である。
③同士討ちによる果し合い。
 ・・・・敢えて書く必要もない。ふざけているとしか言えない。
④遺族が生活に困窮するが、軍人恩給は?
 やや理解に苦しむ場面。軍人恩給があったはずだから、映画で表現されたほどの困窮が生じる理屈がわからない。

【 この世界の片隅に 】
 戦前~戦中・戦後の生活、当時の日本人の観念、概念などが非常に良く描けている。これは昨今の映画・ドラマには見られなかった重要な点といえよう。今後の日本の戦争映画、ドラマの描き方を変える名作になると断言して良い。
 圧巻だったのは、弟は姉に対して口ごたえをしない、従うのみだった点を上手く描いていたことだ。(日本社会では目上の者に権限がある) これは現代劇化している昨今の戦争映画、ドラマには無い素晴らしいシーンと言える。逆に、若い人達からすると「なぜ?」となる所であろう。昨今の戦争映画、ドラマでは、必ず主人公は正義を主張する事になるのだが、それは当時を描くのであればNGである。当作品は、当時の日本社会の観念・概念、世相(世論操作)の怖さ・問題点を上手く描けている秀作である。

【 キリングフィールド 】
 あまり話題に上らない映画ではあるが、1985年(大学4年)の時、この映画を見たことにより戦争映画のリアリティーについて考えるようになった。派手な戦闘シーンなど微塵も無いのだが、戦争により豹変する人間の怖さや粛清の恐ろしさ・・など、不気味なほどの臨場感を伴って表現されている。 ほんとうに凄まじい作品であり、「永遠の・・」と見比べれば、我々日本人の戦争観が如何ずれているのか?がよくわかるはずだ。






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