朝ドラ「おひさま」と両親の戦争体験

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代用教員の方が偉そうにしていた?!


 中村先生(ピエール瀧)と福田先生(ダンカン)の、職場での態度が大きいのは周知の通りである。あれを見て控えめと思う人は、まずいないだろう。

 当時の、女性教諭の社会的、職場内的な立場を描く上で、女性蔑視的な態度での演出は必要だと思う。また、横暴に・・・いやらしく描けば描くほど、竹槍教練で転んだ生徒、杏子(大出菜々子)を中村先生が気遣うシーン(第63話)や、その後につながる中村先生出征のシーン(第64話)での感動が引き立つというものだ。また、第19週以降の、少し冷たい態度の萩原校長(矢島健一)や、陽子が教師を辞めた後に勤める会社の田所(紺野まひる)や竹内(野間口徹)の演出も、同様の効果を狙ってのことだろう。

 さて、この旧学校制度の代用教員だが、私の父の話によると、戦中戦後の動乱期に、正教員不足を補うために、急場しのぎで発生した制度だという。確認のためネットで調べてみたが、どうも詳しく記述してあるサイトが見つからない。中途半端な制度だったからであろうか・・・? もっとも、父自身が代用教員から教職をスタートしているので間違のない話ではあると思う。

 その父に言わせると、「おひさま」に描かれている通り、当時は代用教員の方が態度が大きかったのだという。脚本の岡田氏の意図的な演出なのか?はたまた偶然なのか?ある意味、中村先生と福田先生の演出は、時代考証は忠実といえるようだ。

 まず、女性が正教員になるには、高等女学校→師範本科というのが一般的なルートだった。つまり、女性正教員というのは、ほとんどの場合、地元の裕福層の娘だということになり、教師をしている女性はある意味、周囲から注目を浴びたという。そういう点からも、男性代用教員の女性正教員に対する態度には、女性に対する蔑視だけではなく、一部には裕福層へのコンプレックスも含まれる場合もあったようだ。

 一方、男性が正教員になるには、尋常小学校卒業後、①高等科→師範予科→師範本科というルートと、②中学校→師範本科という2つのルートが存在した。
 私のイメージでは、師範本科を卒業して正教員免状を持っているのだから、学歴もあり、それなりにステータスはあったのでは?と思うのだが、父の話では、①の高等科を経由するルートの場合、学費が免除だったということもあり、比較的、貧しい家の人が多かったという。そのため、師範出の正教員には“貧乏な家庭に育った勉強が出来る人”という負のイメージが存在したらしい。
 また、父の話では②の中学校卒からのルートは比較的少なかったという。私が思うに、当時の教員は給料も安く、中学校卒の男子が敢えて選択する職業でもなかったのかもしれない。(※父は私が生まれた頃、あまりの安月給に、転職を考えたという。現在の教職員では考えられない話だ。)

 これらの話を、平たく・・・悪い表現を使うと、当時、人々の中には、女性正教員を“女のくせに”という視線で見たり、高等科卒の男性正教員を“貧乏な家の出のくせに”という視線で見ていた人間が少なからず存在したことになる。
 こういった偏見とも言える価値観が、全国的なものだったのか??当時の父の個人的な意識だったのか?現在では確証を得ることは難しいが、戦前~戦中の日本では男性と女性では男性が上にあり、裕福層と貧困層では裕福層が上だ・・・という意識が存在したことには間違いない。

 さて、この話題に付随してもうひとつ、父の語った通りだと感じるシーンがあった。
第18週、太陽の決心の第104話、萩原校長が教室で陽子に退職を促すシーンである。

萩原校長 「素敵なご家族ですね。」
陽子 「ありがとうございます。」
萩原校長 「めぐまれてますねぇ丸山先生は・・・。 丸山先生、私はね、大した教師ではありませんでした。家があまり豊かではなかったものですから、でも、勉強が好きでしてね。勉強を続けるためには、高等小学校を出たら、師範学校に行って、教師になるぐらいしか道は無くてね。 ですからね、ずっと思ってました。貧しくてもちゃんと子供達が教育を受けられるよう改革をすべきだとね。」
陽子 「ハイ。」

 このシーンを見た時「えっ!」という気持ちで驚いた。まさに父の語った通りの内容がこのシーンに表現されている。脚本の岡田恵和氏が当時の事情を調べ上げて書いているのであれば、それは凄いことである。恐るべし岡田脚本。



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