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ノモンハン事件現地慰霊の旅 モンゴル・ノモンハン紀行

3.  よもやま話


 帰国後、改めて気がついた事や旅行の裏話的な内容を記述して行きます。

①持って行けば重宝したであろう物

【配線タップ(3口ぐらい付いているもの)】
  今回、現地での写真の撮影枚数は2500枚以上と半端ではなく、ビデオも2時間近く撮影していた。予備のバッテリーを準備していても、毎日、デジカメ2台分の充電が必要だった。それに加え電動シェーバーを使うとなると、私だけでもコンセントが3口は必要になってくる。たいていの場合、同室になった方を差し置いて、私が一番にコンセントを使用したので問題は無かった。非常にあつかましい話ではあるが、他の参加者に比べ、格段に写真の撮影枚数、ビデオの撮影時間が多かったので致し方なしである。このような理由もあり、配線タップがあれば一気にバッテリーを充電して早めにコンセントを明け渡すことも可能だし、複数の方と同時に充電をすることもできる。今後、旅行の際には配線タップは装備品に加えたいと感じた。



②GPS付きカメラに関して

  最近のデジタルカメラにはGPS機能が付いている機種が増えており、撮影した位置を正確に記録することができる。今回、新しく購入したデジカメにもGPS機能が付いており、戦跡の調査で大活躍するものと期待していた。しかし、現実にはその機能を十分に発揮することは無かった。

  一つは信号受信の問題である。デジカメに搭載されているGPSは、高感度受信チップを搭載したハンディGPSのeTrex Venture HCと比較すると、測位に時間がかかる。そのため常時GPSをONの状態にしておかなければならない。しかし、それではバッテリーを食う。そのため、デジカメの電源を落としている最中はGPSもOFFにする設定にしていた。しかし、それでは車から降りてすぐに撮影しようとした時、瞬時に測位ができない。結局、ほとんどの場所で測位が出来ず、バッテリー節約のためGPS機能をOFFにしていたのが実情だった。

  それともう一点が、GPSが使えないエリアが以外に多かったことだ。これは少し信じがたい話ではあるが、辺鄙な場所に行くと「エリア外」と表示され測位しない。どうやら日本語で地域名が表示される機能に関係して、デジカメ内部に設定されている地域データに問題があるような気がする。いずれにしても、スンベルは「エリア外」の表示となり全く使用できなかった。

  結局の所、カメラのGPS機能を活用しなくても、ハンディGPSのトラックデータと撮影時刻と照らし合わせれば、正確な緯度経度は判明するので、最新機能とは言え、全く無用の長物であった。



③東渡しの付近で航空機の着陸は可能か?

  「⑦安達大隊、バインチャガン~744高地、754松山陣地」でも記述したが、地形を見る限り、『東渡し』から1.5km以内で航空機が離着陸が可能な場所は無いと断定して良い。

  大叔父が松村中佐を救出した際、ソ蒙軍の渡河点上空を高度約200mで通過している。エンジンを切った97戦の滑空距離は凡そ高度の7倍。ハルハ河から1.5km以内に着陸したと考えられる。
  『744高地』が『東渡し』の真北約2km。その付近一帯に着陸できる広さの平原はおろか、「北に向かって大平原が続いていた。」という大叔父の証言に合致する場所は無かった。また8月4日時点で『754高地~744高地』一帯には梶川大隊が進出しており、一帯を掌握中か、もしくはソ蒙軍と小競り合いの最中だったと考えられ、友軍の姿を全く見なかったとする大叔父の証言とも矛盾が生じる。
これらの点から東渡し付近は着陸地点ではないと判断して良いだろう。

  なお、ハルハ河から着陸点までの距離に関してだが、ハルハ河の河川敷は広い所で3kmほどもあり、ハルハ河の真上から1.5kmと見るか、ソ蒙軍の集結する東岸の土手の陰から1.5kmと見るかで意味合いは随分と変わってくる。しかし、東渡しに関して言えば、ハルハ河が東岸の土手にぶつかっており、ハルハ河上空=ソ蒙軍の集結地点上空と見ることができる。よって東渡しから1.5kmの範囲で着陸可能な場所があるのか?という視点で凡そ問題は無いと考えられる。



④大叔父の帰還したホシウ廟基地の謎

  私は、現在のMoc-cyмэ(モッス廟)がノモンハン事件当時のホシウ廟ではないかと考えている。平成13年の渡蒙の際に、ダシュナムさんに聞いたところによると、そもそも「ホシウ(旗公暑)」とは内蒙古を大きく3つに分けた地域の一つであり、一地名ではない。 「旗」とは行政単位の一種→ウィキペディア「
その話から、当時の「ホシウ(旗公暑)廟」は地域の中心地だったと考えて間違いないだろう。
  一方、現在のMoc-cyмэ(モッス廟)であるが、ソ連地図に表記されている字体が、地域の中心であるスンベル村の記述Xamap-Дaбa(ハマルダバ)と同じ字体であり、恐らく現在でも地域の中心だと想像できる。これらの点から、全くのこじつけ的展開ではあるが、現在のMoc-cyмэ(モッス廟)がホシウ廟だと言うのが私の仮説である。
  また位置的にもホシウ廟とモッス廟は、ほぼ同一点になり、GoogleEarthで調べてみても何かしら道路や建物の痕跡などが判別出来、人の往来の激しさを感じることができる。

  この点をこの一帯の歴史と古地図に詳しいOHRさんに話してみたところ、あっさりと「その仮説で全く問題は無いですよ・・・」とのお墨付きを頂いた。この件に関して深く議論したわけではないが、OHRさんの知識の範疇では常識的な内容だったように見受けられた。