ノモンハン事件現地慰霊の旅 モンゴル・ノモンハン紀行
4. 後日談
【満州国十万分一図】
OHRさんが「地図中心」という雑誌にシリーズで寄稿しているという。
「地図中心」というのは地図マニア向けの雑誌で、(財)日本地図センターから発行されている月刊誌だ。その「地図中心」に、ノモンハン事件の経過を、当時の現地地図を引用して解説した「地図は語る、ノモンハン」というシリーズを、1年以上に渡って連載しているのだというという。
モンゴルから帰国後、早速、バックナンバーの436号~454号、456号をインターネットで注文した。(457号以降もシリーズは継続。)
私はこれまでノモンハン事件の細かな経緯に関しては、深く追求して来なかったように思う。もちろん基本的な知識は持ち合わせているが、どちらかというと大叔父の一件を中心にノモンハン事件を追いかけ、それ以外の全体的なことに意識が回っていなかった。今回、このシリーズを読むことにより、各部隊の動向のみならず、ノモンハン事件以前のホロンバイル一帯の歴史の一部や、地図測量時のエピソードも知ることができた。
しかし、何といっても興味を引かれたのは、文中で多数引用がされている「満州国十万分一図、貝爾湖12号、将軍廟(1907-1942)」という地図だ。
この地図は、見るからに正確な地図で、ノモンハン会から購入した「関東軍地図」と細部が非常に似通っていた。恐らく「関東軍地図」の出元になっているのだろう。ぜひとも入手したい・・・しかし、どこで入手できるのか、皆目見当がつかなかった。
(ちなみに「関東軍」地図は3つの図を合成しているので、歪みが生じている。おまけに肝心の緯経度線が記されていない。しかし、陣地や部隊の動向、軍道などが記入されており、戦史資料としては大切なものである。)
諦めるしかないのか・・・少々意気消沈したものの、そのうち、ちょっとしたアイデアが浮かんだ。シリーズに掲載されている地図を合成すれば、それなりの物が作れるのではないか?早速、調べてみると、ほぼ戦場全域をカバーできることがわかった。あとは掲載されている地図を画像データとしてパソコンに読込み、図形ソフトで合成すれば良い・・・。ところが、肝心のスキャナーが無い。
そこで、デジタルカメラで地図を撮影してみることにした。ただし、カメラ撮影には避けられない問題もあった。レンズによる画像のゆがみで地図の周辺部が円く歪んでしまうのだ。(緯経度線が正確な正方形に写らない。)これはワイドで撮影すると顕著に現れる。そこで、カメラをできる限り望遠状態にして、離れた位置から撮影してみたところ、何とか使えそうなことがわかった。
早速、デジカメで地図を撮影し、12枚の画像データが出来上がった。これを“ペイント”(mspaint.exe)を使って合成すると、思ったより簡単に大まかな戦場一帯の地図が完成した。しかし、そこで話を終わらせては意味が無い・・・その画像データを「カシミール」という地図ソフトに読み込ませ、GPSで計測した現地データ(ウェイポイント、トラックデータ)を合成してみた。すると以外や以外・・・適当な作りの合成地図ながら、想像以上に正確だということがわかった。
「この地図は使える!」これがきっかけで、余計に原図を入手したい気持ちが高まってしまった。
そこで、画像の歪みを無くすために、モンゴルで大活躍したデジタルカメラ、Panasonic製DMC-TZ10の望遠機能を利用することを思い付いた。更に正確を期すため、地図の掲載されているページを白黒コピーした上で、緯度経度線が斜めにならないように最新の注意を払って撮影し、ほぼ完璧な画像を得ることができた。12枚の画像はそれぞれ輝度が異なるので、Photoshopにて可能な限り調整を行い、合成した時につなぎ目が不自然にならないよう心がけた。
最終的には、原図の「満州国十万分一図、貝爾湖12号、将軍廟」に近い物が完成したように思う。「カシミール」上で表示してみると、「ソ連衛星地図」、GoogleEarth共に同じ結果が得られた。これは当たり前の事だが、凄いことだと思う。今世紀初頭の地図と1970年代の衛星写真を基にした地図、それに最新のデジタル技術を駆使したソフトウェアが同じ結果になるのだ。まぁ元の地形は同じだから当たり前なのだが、その当たり前になるところが凄いと思う。
その後、「カシミール」から印刷した図をOHRさんに見せると、以下のような返事が返って来た。
「75年前の実測地図上にGPS軌跡が描かれるとは、誰が想像し得たでしょうか!」確かにそうだ、現地で測量を行った兵士は、自分達が作った地図が75年後、一介の市民の手によって移動履歴が合成されるとは、夢にも思わなかっただろう。
逆に我々は75年前の機材で測量された地図の正確さに、驚きと畏敬の念を感じずにはいられないのであった。
※カシミールに表示したものをスキャン
地図データ①北部 、地図データ②中部、地図データ③南部(南渡しなど)
※「満州国十万分一図、貝爾湖12号、将軍廟」は、国会図書館で閲覧可能です。連絡をすればコピーを焼いてもらうことも可能(有料)
国立国会図書館複写受託センター
東京本館 〒199-8924 東京都千代田区永田町1-10-1
【ノモンハン桜の種(しゅ)は?!】
私は、「ノモンハン桜」は、「リモニウム・シヌアツム 」和名「ハナハマサジ」だと考えている。フラワーショップでは「スターチス」で通っている、造花や花束に多用される1年草だ。
Wikipediaでは「ハナハマサジ」で調べる事ができる。Wikipediaの解説写真、右下に写っている枯れた部分は、まさに「ノモンハン桜」そのものだ。
私が現地へ行く8月下旬は、既に「ノモンハン桜」は枯れた状態にあり、私も本来の花が咲いている物を見たことが無い。
先日、自宅の部屋に飾ってあるドライフラワーの束を眺めていたところ、「ノモンハン桜」に瓜二つなものが含まれており、愕然となった。私は「ノモンハン桜」は現地でしか生息していないと考えていたから尚更である。
昨年、私は22年間勤めた会社を退職する際に送別会で花束をもらった。花束は乾燥させてドライフラワーにして完成するのだと聞かされていたので、私は部屋の風通しの良い場所に飾って、いつしか風景の一部となり、存在を忘れていた。1年4ヵ月後、改めて花束を眺めると、もらった直後は鮮やかな紫色をしていた小さな花が、今は薄いピンク色をしており、驚くべきことに、見慣れた「ノモンハン桜」と瓜二つになっているではないか・・・。
そこで私は、自宅にある「ノモンハン桜」と見比べてみた。花の着き方に若干の違いがあるものの、ガクの中に黄色っぽい花弁らしきものがある点など、見れば見るほど特徴が似ている。モンゴルでは薄いピンク色をしていた「ノモンハン桜」も、今では真っ白になってしまったが、送別会でもらった花束に含まれている花の名前がわかれば、「ノモンハン桜」がいったい何の種なのか?が判明する・・・。
私は幸運にも、もらった直後の花束を記念に撮影していた。ネットでフラワーギフトを検索すれば、これと同じ花を簡単に探し当てることが出来ると考えたが、どっこい・・・それらしき物にはなかなかヒットしない。そこで花に詳しい母に花束の写真を見せたところ「スターチス」に似ているという答えが、いともあっさりと返って来た。早速ネットで検索をかけてみると・・・。
俗称「スターチス」、和名「ハナハマサジ」
(学名:Limonium sinuatum、英名:Wavyleaf sea-lavender)は、イソマツ科イソマツ属に属する多年草または一年草。
高さ45cm程度で、茎は直立し、花期は夏から初秋。茎の先に円錐花序または穂状花序をつけ、個々の花は筒状である。萼片は青や紫、白、黄、桃色など多色で目立ち、花弁は白くて小さい。
栽培では1年草として育てられる。観賞用、切り花に用いられるほか、花がしぼんだ後もがくは残り、乾かしても色落ちしないのでドライフラワーによく用いる。
・・・とある。まさに、「ノモンハン桜」の特徴とぴったり合うではないか。
「スターチス」には多種多様な種類があり、似ても似つかぬ種類もあるものの、調べて行くうちに、私が花束でもらった種類らしき物や、「ノモンハン桜」に枝振りが似ている物も見つかった。そこで私は「ノモンハン桜」が「スターチス」の一種であると確信を得るに至った。
22年間勤めた会社を辞め、意を決して行ったノモンハンだったが、送別会でもらった花束に「スターチス」が含まれていたことが、今回のきっかけとなっている。これも何かの縁だと思えてならない出来事だった。 【記2011/12/06】