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ノモンハン事件現地慰霊の旅 モンゴル・ノモンハン紀行

2.  モンゴル・ノモンハン旅行記

⑩帰国~そして帰宅

平成22年8月30日(月) 日程10日目・最終日

  本日は、早朝にウランバートルを出発し成田空港着。リムジンバスで羽田空港まで移動し、国内線で伊丹空港までの移動である。

mong10_11a【起床】
03:00。既に目は覚めていた。モーニングコール係りの女性が、ドアを叩いて皆を起こす音が、遠くの部屋から順番に近づいて来る。テレビをつけると軍隊を舞台としたドラマをやっていた。軍服がどうもロシアっぽい。通常、日本で目にする軍関係の海外ドラマといえば米軍物が中心になるので奇妙な感じがする。


mong10_11b   全員、一旦ロビーに集合してから食堂へ入る。今朝は石井さんもスーツ姿だ。朝食は目玉焼きにウィンナー、トーストという組み合わせだった。朝3時に食欲の沸くメニューでは無かったが、しばらくは何も口にすることができない。結局全部食べてしまった。

【ヌフトホテル出発】
mong10_11c 04:15。真っ暗な中、ドルチョさんの運転でヌフトホテルを出発する。ドルチョさんともこれが最後だ。放射冷却もあってか、この時間帯は一段と肌寒く感じる。見上げると満天の星空だ。
  そんな中、オリオン座が一段と一際目立って見えた。オリオン座は日本では冬の星座だが、モンゴルは高緯度なのでこの時期でも見えるのだろう。空気が澄んでいるために“オリオン大星雲”の部分も星の集まりであることがよくわかる。
mong10_11d   平成13年、早朝にテレルジから空港まで移動した時のことだ。南の空を見ると水平線を境に上は満天の星空、下は漆黒の闇だった。そんな中、天の川は“ミルキー・ウェイ”と称されるのが理解できるほどに白濁して見え、その横に巨大なオリオンが、まるで草原に仁王立ちでもしているかのように見えた。今回も、当時を思い起こすに十分な星空だった。
(ちなみにオリオン座は、この時期、日本でも明け方であれば東の空に見えるのだという。同じ時期、ニュージーランドに行く飛行機の中から見るオリオン座は上下逆さまであった。)

  当時と変わった点と言えば、ウランバートル市街の明りだろう。以前は深夜は殆ど灯りがともってなかったのだが、今では早朝4時台でもきらびやかな輝きを放っていた。ニュージーランドのクライストチャーチよりも明るいようだ。

【チンギスハーン国際空港(ウランバートル空港)着】
mong10_11e 04:40。荷物を降ろして国際線の方に向かう。入り口で石井さんが9年前と全く同じセリフを言う。「ここから先はスレンさんとタイシルは入れません。ここが最後です。」そして各自握手をしながら再会を約束し合った。最後の別れは、毎回、時間が迫っていることもあり、あっさりとしている。

  空港内はまだ夜が明けていないにもかかわらず、海外からの観光客でごったがえしていた。9年前からは想像もできない変貌ぶりだ。ごったがえす観光客を避けながらカウンターでチェックインを済ませる。スレンさんやタイシルもいない、ここからが石井さんの真骨頂である。
  みやげ物等で重量が増えた方も多いので、そのあたりを上手く調整しながら全員無事にチェックイン完了。国際線待合室に向かった。

【セキュリティチェック】
mong10_11f  毎回、ドキドキするセキュリティでは、ウェストバックに入れていた金属製のボールペンが指摘された。まぁ確かに先端が尖っているといえばそうなのだが・・・。電池のパックといいペンといい・・・、日本やニュージーランドでは指摘されない点を指摘されるのは不思議な感じである。

  セキュリティといえば例によって永井団長だが、今回はスンベルで拾ったノロ鹿の角が指摘された。我々はもう爆笑である。邦弘さんは「なんで鹿の角なんか持ってんだヨ!」と呆れ顔であった。(“ワシントン条約”関連の日本国内への持込禁止品をチェックしてみたが鹿の角は問題ないようだ。)ひと悶着もありながらセキュリティを通過したことで気が楽になった。

  私は特にみやげ物を買う用事もなかったので、永井団長に戦争中に携帯していたモーゼルのことを聞いた。モーゼルは巨大な銃だがどうやって隠し持っていたのか?以前から不思議に思っていたからだ。実はそのモーゼル、世間で良く知られる大型のModel C96ではなく、小型の物だという。帰国後に調べてみるとModel HSc、Model 1934という小型の物や、さらにはModel WTPといった超小型のタイプが製造されているのがわかった。これならまず隠し持つことは可能だろう。

【機内へ】
mong10_11g06:45。機内では平野さんの隣になった。私は解団式でのスピーチの際に、754高地で平野さんが読経をあげたことを「事件後71年目の画期的な出来事だった。」と発言した。
  平野さんは「あなただけですよ、そんなことを言ってくれたのは・・・。」と妙に感謝された。オーバーな・・・と思ったのだが、実は、そんな珍妙なことを言うのはお前だけだ・・・という意味だったのだろうか?それは冗談だが。

【食事】
mong10_11h08:30。帰りのMIATの客室乗務員は、インド・スリランカ系?の顔立ちの女性で占められていた。行きの便の客室乗務員はタジキスタン系の顔立ちの人が多く、モンゴルでも西の方に行くとヨーロッパ系の顔立ちとなるので特に違和感を感じなかったが、モンゴルの航空会社がインド系の顔立ちの客室乗務員で占められているのは、少なからず違和感を覚えた。海外からの出稼ぎなのだろうか?

  それ以上に、彼女達の振る舞いは目に余るものがあった。私の場合、度々、飲み物のオーダーを言い直さなければならないことがあり、意図的に理解できないふりをしているのでは?とさえ思えた。というのも私のニュージーランド仕込みの英語(・・という程大げさなものではないが)は、国際線の客室乗務員には良く通じるからだ。私のことはともかく、英語の分からない浜さんに対する“つっけんどん”な対応は腹が立った。これまで乗った国際線の経験から判断しても、彼女達の乗客への対応は粗暴で、とにかく自分達が楽に過ごすことを中心に考えているかのようだった。MIATの機内サービスの悪さは元々定評ではあるが、本当にふざけた客室乗務員だと思った。(なお、行きの便は、泣き止まない子供をスタッフ全員でサポートするなど、非常に良かった。)

【成田空港着】
12:50。食事中に平野さんから、新婚旅行で行ったスイス・ツェルマットへのスキー旅行の話を聞かせてもらったが、その後は、朝早かったこともあり、会話もせずほとんど寝て過ごした。

  成田に着くと気温は32℃。暑さよりも湿気の凄さに唖然とする。よく、“蒸し風呂のようだ・・・”と表現するが、全くその通りである。大浴場の更衣室に入った時のあの感覚と同じだった。

mong10_11i   無事に荷物を受け取り、ゲートを出ると、成田山の関係者の出迎えを受けた。平成12年に一緒だった松岡さんの姿も見える。永井団長が帰国の報告をすると一同解散となった。過去2回ともそうだったが、この別れの場面では何か熱いものが込み上げてくる。それは単に10日程を一緒に過ごした“仲間とも言うべき人達との別れ”だけではなく、大叔父の一件に関連した10年分の思い出を含んでいるからではないかと思う。


【羽田空港行きリムジンバスに乗る】
mong10_11j13:40。さて、個人的にしんみりした別れの後は、余韻に浸る間もなくさっさと神戸まで帰らなければならない。アタッシュケースを送る宅配の手続きを素早く済ませ、羽田空港行きリムジンバスに乗り込む。乗客はさほど多くはなかった。車窓からの風景、とりわけ行きのリムジンバスでも見えていた船橋の競馬場や東京ディズニーランドが懐かしく感じられた。そして建築中の東京スカイツリーも見ることもでき、少しだけ観光気分を味わった。


【羽田空港着】
mong10_11k14:50。多少の渋滞はあったものの、おおよそ定刻通りに羽田空港に到着した。ニュージーランドからの帰りの場合、成田経由便で関空まで飛ぶことが多く、リムジンバスで羽田に移動して国内線に乗るのは今回が初めてだった。
  羽田空港は成田空港の“北・南ウィング”と同様、空港会社によってターミナルが分かれており、離れているので注意が必要だ。搭乗予定の伊丹行きJAL便は、第1ターミナル発なので間違えないように降りなければならない。バスは第2ターミナル経由で第1ターミナルへ向かった。

  無事にバスを降りると、あとは伊丹への便に乗りさえすれば帰宅したも同然だ。しかし油断は禁物である。
mong10_11l  午後の伊丹行きは2便候補があったのだが、ゆとりを持って遅い便に予約をしていた。結局、早い便でも十分に間に合ったのだが、まぁ正解だったであろう。待ち時間が1時間以上あったので、今回の旅行記の整理を、撮影した写真の時刻と確認しながらおこなった。食事は非常食に持参していたカロリーメイトと自動販売機で購入したオレンジジュースで軽く済ませる。10日間、モンゴル料理ばかりだったので、胃腸を休ませるには丁度良いだろう。

【伊丹空港に向けて離陸】
mong10_11m16:30。旅行記の整理で待ち時間もあっという間に過ぎてしまう。離陸30分前にはチェックインを済ませ、無事に機内へ。珍しく離陸の瞬間は無い。気が着くと既に雲上だった。疲れと安心から熟睡してしまったようだ。心なしか機内の明るさがチョイバルサンからウランバートルへ戻る機内と似ていた。


mong10_11n  機内ではJALの客室乗務員が忙しそうに動き回っている。MIATとは大違い、対照的な光景だ。しかしある意味、過剰サービスのようにも思えた。まるでお殿様と女中のようにさえ見える。これが日本的といえばそれまでだが、ここまで低姿勢にサービスを行う必要があるのだろうか?もちろんJALは会社の再生をかけ、社員一丸となって顧客満足度向上を目指しているのはわかる。その意気込みを強く感じたのだが、私にはニュージーランド航空の自然でフレンドリーな感覚が合っているようだ。

【伊丹空港着】
17:40。巨大な積乱雲が発生しているとの機長のアナウンスが流れる。積乱雲を回避するため、伊丹空港への到着は少し遅れるようだ。そういえば機長の挨拶や積乱雲迂回の丁寧な状況説明など、客室乗務員以外のスタッフの取り組みも、以前とは違うように感じられた。

  想像していたよりも小さな遅れで着陸。急いで切符を買いバス乗場に向かうが、ちょっとの差で三ノ宮行きに乗りそびれてしまった・・・。蒸し暑い中、次のバスを待つ。伊丹空港を利用するのは何年ぶりだろうか?何かと国内のスキーツアーで利用することが多かったので、いろんなことを思い出す。
  ここからリムジンバスに乗るのは(2006年の八甲田ツアー以来)実に5年ぶりだ。こうやって何度かバスを乗り損ねて、寒い中、次のバスを待ったことがリアルに思い出される。最近は何かと5年ぶり10年ぶりと・・・物事のスパンが長くなっているように思う。人間、歳を重ねると共に時間が過ぎるのが早く感じられるというが、全くその通りだ。しかし、私の場合、それだけではないように思う。公私共にゆとりの無い生活をして来た結果だろう。

mong10_11o  モノレール駅の方向を見ると私の搭乗便が回避した巨大な積乱雲が見えていた。西日を受けて一際輝いている。日本の真夏の、典型的な夕方の風景がそこにはあった。

【三ノ宮行きリムジンバスに乗る】
18:15。やっと次のリムジンバスが来た。先頭で乗り込んで一番前の席に陣取る。阪神高速池田線を走るバスから、六甲山の山並みに夕日が沈もうとしているのが見える。その夕日を眺めながら、つい24時間前はチンギスハーン国際空港から山に沈む夕日を眺めていたことを思い出していた。その数時間前にはチョイバルサンにいた。そしてその前には・・・そうやって旅を振り返っているうちに、いつの間にか熟睡してしまった。

18:50。三ノ宮着。リムジンバスはいつも通りに職場の前を通過して、三ノ宮駅前に到着した。やはり蒸し暑い。丁度、帰宅ラッシュの最中だ。もしかしたら帰宅途中の同僚に会うかもしれないと思いつつ、こんなに早くは帰宅できないだろうと思い直す。相変わらず全員でサービス残業をしているのだろう。

  三ノ宮から乗る乗客は、満員とは言わないまでも、そこそこに多く、帰宅列車らしい込み具合だった。高取付近で座席が空いたのでうまく座ることができた。毎年のニュージーランド旅行と同様、帰宅電車の中にしては一風変わった身なりをしている私を、一部の乗客が不思議そうに見ていた。もしかしたらラム肉臭かったのかもしれない。

19:25。朝霧着。帰宅後、汗を流してから軽く食事を済ませ、実家へ帰宅の報告に行く。長居はせずに自宅に戻り、翌朝の出勤準備と、会社の社員のブログに掲載するための写真を選び、軽く原稿を作成した。11時頃には終了したので翌日の出社は随分と楽だった。
  翌、8月31日は22年勤めた会社への最後の出社だった。

(平成23年1月2日、完)