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ノモンハン事件現地慰霊の旅 モンゴル・ノモンハン紀行

番外編.救出時の状況証言(五郎語録)

※証言を時系列、関連事項順に整理しています。

これら証言は、直接会って2回話を聞いた話を、凡その時系列と関連事項順に整理したものです。話を聞いた時、机の上にタオルを丸めたものを並べて丘とし、説明を受けたので、現地をイメージしやすかったです。ひとつだけイメージできなかったのが“小松の生えた丘”という言葉です。これは現地に行くまで全くイメージできませんでした。

【西原五郎証言】


  • 追いかけてきたI-16は、こちらが戦う素振りを見せると直ぐに逃げて行った。逃げてくれた事が助かった最大要因の一つ。
  • まだ高度を保っていた時、松村中佐にハルハ河手前での着陸をさかんにうながした。ハルハ河西部は平坦で着陸も容易だった。
  • ハルハ河を越えた直後にトラックの影に濃緑の服を着たソ連兵が数名こちらを見上げているのが見えた。
  • ソ連部隊はハルハ河の土手に隠れるように集っていた。
  • 着陸直前に、右翼端に興安嶺山脈が見えた。
  • ハルハ河を上った土手の上の台地に、小松の生えた丘が2つあった。右手の丘の先は興安嶺山脈の端につながっていた。
  • 丘と丘に挟まれた所に援体壕に配置してある敵戦車が数台見えた。
  • 松村機は、敵戦車の視界から遮られた右手の丘の前方に着陸するかに見えたが、着陸の直前に左急旋回し敵の目の前に着陸してしまった。
  • 小松の丘に敵兵がいた。丘の影に戦車が配置してあった。敵の射撃エリアから外れるように着陸しかけたが、フラップを出した途端に火が着いた。
  • 単発機(97戦)は操縦桿を放すと自然に左に回ってしまう。
  • 松村機不時着と同時に西原機は右急旋回を行い、転覆した松村機の前方20mの位置に停止した。
  • 敵の真ん前300~400mの所に着陸してしまった。西原機は右360度ターン(正確には270度?)を行い松村機前方20m程の所に止めた。
  • 松村機は着地直前に左に急旋回して転覆、西原機はそれを見て右急旋回を打ち、松村機の前方で停止した。旋回中に松村中佐が横転した機の尾翼の下に挟まっているのが(軍服の緑色)見えた。
  • 97戦の最小回転半径は80m。通常、昇降は左側で行う。
  • 草原の草は腰ぐらいの高さがあった。松村中佐を仰向けに引きずって、草に隠れるように自機まで運んだ。
  • 松村中佐は「貴様は誰だ!」と絶叫し、へたすると敵兵と間違われて拳銃で撃たれかねない状況だった。
  • 救出時に弾が飛んで来ているのはわかった。草が飛んでいるのがわかった。(草の破片が跳ねていた。)
  • 愛機(西原機)の左側から銃撃を受けた。操縦席の左側がめちゃくちゃに壊れていた。10リットル程の予備タンクからガソリンが漏れていた。(※追記2018/06/20)胴体内タンク50L、翼内タンク140L(75+65)×2ということが判明した。)
  • 愛機の左側がやられていたので、松村機の弾丸が当たったものではない。
  • 脱出口の取っ手のカバーが壊れて無くなっていたのを放置していた。助かった最大要因の2つ目である。
  • 松村中佐の頭を脱出口に突っ込むような感じで、背中に背負うようにして腰で身体を持ち上げると、ドタリと胴体の中に上手く入った。
  • 真っ直ぐに離陸した後、右手に進路を取り、備え付けの方位磁石で磁北を目指した。
  • 何時発火してもいいように低く飛んだ(草原に機を押し付けれるように)
  • ただ、ひたすら草原が続いていた。他に何も見えなかった。東渡しに着陸していたら主戦場の上空を飛ぶはず。また、数ヶ月生活したアライトロゴイ基地の付近を通過するのですぐにわかるだろう。
  • 松村中佐の右手がくすぶっていた。右足が大火傷→左に向かって回るので右足を突っ張らなければならない。
  • くすぶっている手が、漏れているガソリンに引火しないか?気が気ではなかった。
  • ホシウ廟基地に着陸する直前に砂丘の上に1本の枯れ木があるのが見えた。
  • ホシウ基地は滑走路が東西に配置してあり、その滑走路を横切るよう、本部の天幕に向かって着陸した。
  • 松村中佐救出後、本部に報告に行くと深沢画拍が居て「誰が助けたのですか?詳しい話をしりませんか?」と聞かれた。そこで「私が助けました」と一部始終を伝えた。

 

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