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ノモンハン事件現地慰霊の旅 モンゴル・ノモンハン紀行

1.モンゴルに行くきっかけ

⑦ 着陸地点の結論??

  神戸に帰ってから、聞いた話しのメモを読むうちに、着陸地点の状況、特に「撃墜」の中に書かれていた着陸地点の”東渡し”がどういう場所なのか知りたくなりました。どこかに地図がないものか・・写真はないのか?

  まず、神戸新聞社に電子メールで連絡を取りました。そして読者センターに電話をして、平成11年8月に掲載されていた記事を書いた”ノモンハン事件の研究家”と言う方の連絡先を教えてもらいました。その方は西宮に住まわれている鈴川さんと言う方です。
mong07a  鈴川さんに電話したところ、”東渡し”の写真、地図は所持していないが、東京の小田さんという方が今年の夏にノモンハンに行って写真を撮ってきている、というので連絡先を聞きました。
  今度は小田さんに電話をしました。”東渡し”の写真は無いが、現地を遠くから眺めたところ、崖のようになっていた。地図に関しては関東軍作成の物をノモンハン会で販売している。と教えてくれました。
  今度はノモンハン会の阿部さんに電話をしました。そこで関東軍が使用していた地図A(1/1万ぐらい)と森川さんと言う方がGPSで現地計測した数値を書き込んだ地図Bを購入しました。

mong07b  地図を見ると確かに”東渡し”から1.5km付近に平地があり丘に囲まれています。着陸地点はここに間違い無いと思い、五郎おじさんにこの地図を送りました。大金星と思って送った地図ですが、五郎おじさんの返事は冷ややかでした。

mon08d  五郎おじさんの考えでは着陸地点は“南渡し”なのです。「撃墜」で松村中佐は着陸地点を“東渡し”と書いていましたが、それではあまりにも主戦場から近すぎると言うのです。その一帯は確かに日本軍とソ連軍が戦闘を交えている場所です。もう一つの理由に、真北に飛行して直接、ホシウ廟基地に帰還している事。つまり着陸地点は基地の真南だったというのです。”東渡し”は基地の南西に位置しています。

  そして困った事に、事件後に数回、松村中佐と着陸地点について議論したが結論が出なかったと言うのです。大金星から迷路が始まりました。


(追記)H12年の渡蒙の際、同室だった小田洋太郎氏は、後に「ノモンハン事件の真相と戦果―ソ連軍撃破の記録」を出版し、平成18年の3回目の渡蒙後の11月に亡くなられた。

(追記:2010/09)現在なお着陸地点に関しては“東渡し”ではないか?という意見があるが、先日の調査で東渡しの北側である744高地・754高地付近を調査したが、 とてもじゃないが飛行機が離陸できるような平坦地は存在しなかった。(不時着は可能かもしれない)