ノモンハン事件現地慰霊の旅 モンゴル・ノモンハン紀行
2.モンゴルに行本格的な準備
① 着陸地点の推理
手元にある資料は、当時の手書きの簡易地図とノモンハン会から購入した関東軍の地図、それと松村中佐が書いた“撃墜”と五郎おじさんの手記でした。
ノモンハン会の地図は航空写真を基に作成されているため非常に精密な物です。しかし、複数の地図をつなぎ合わせているので、つなぎ目周辺が非常に曖昧でした。
また、“東渡し”の記述はあるものの、他の渡しについては橋のマークしかありません。実際には複数のソ連軍渡河地点があり、全てが日本軍の地図に記載されているとは限りません。しかし、簡易地図には“南渡し”の記述があり、周辺の高地の名称から、ノモンハン会の地図の右下の橋のマークが南渡しであろうと判断しました。
ホシウ廟基地は「将軍廟基地の裏手の大砂丘を越えた所、北東方向に4km」と聞いていましたが、ノモンハン会の地図では範囲外でした。簡易地図にはホシウ基地と記述があるものの、将軍廟からの距離は約10km。また、将軍廟、ホシウ廟という文字が書いてあるだけで何処がポイントか判りません。しかし、“南渡し”の真北にホシウ廟があることはまちがいありませんでした。
五郎おじさんの証言を集めると下記のようになります。
- ソ連軍の大部隊が集結している場所(南渡し?)の付近に小松の茂った丘が2つあった。
- その丘に挟まれた所に援体壕(戦車の砲塔だけが出るような塹壕)があり敵戦車が配置してあった。敵正面400~500mの場所に着陸した。
- ハルハ河上空での高度は200mほどであった
- 救出後、北に向かって高度10m程を低空を飛行してホシウ廟基地に帰還した。
- 救出後、飛行中に見えたのは草原だけ。北に向かって大平原が広がっていた。
- 五郎おじさんは、北に飛行してホシウ廟基地に帰還した為、“南渡し”が着陸点と考えているが、松村中佐の著書「撃墜」では着陸するまでの一部始終を詳細に記述してあり、中佐自身が“東渡し”を目指したと書いている。
これらの中ではっきりしているのは
- ソ連軍部隊が渡河していた上空を通過した。
- ハルハ河上空で高度約200mだった。
- 小松の丘に挟まれた所に戦車が配置してあった。
- 北に飛んで帰った。北に大草原が広がっていた。
その後、電話で確認を入れたところ、ハルハ河上の高度も曖昧で、「ソ連兵の顔が見えるぐらいの高さだった」という話しでした。(パイロットなので一般人の感覚とは異なる可能性がある?)
そこで、私なりに推理して質問を考えて手紙にしました。明確な答えを期待しても、当時の切迫した状況では記憶が曖昧なのも無理のない話しです。しかし、パイロットですから、任務完了後は複雑な戦闘状況を必ず報告をしなければなりません。極限状況でも記憶力が正確な人間しかパイロットにはなれないのです。今、覚えている事だけは正確だと思います。
以下、私の推理
- “撃墜”には、エンジンを止めても高度の7倍は滑空できると書いてあった。タンクも被弾していたので重量も軽く、ハルハ河上空で高度200mであれば約1.5km飛行できたであろう。墜落するように着陸しているので滑空距離以下で着陸しているはず。着陸地点はハルハ河から1.5km以内と推定される。
- 当時の制空任務地域であるハルハ王府跡の上空から、最短距離でホシウ廟基地に帰還すると"東渡し"の上空を通過する。逆に出撃時は“東渡し”付近の上空を飛行したのか?またその記憶はあるのか?
- 救出後、北を向いて飛行したと言うが何を基準に北を飛んだのか。磁石?地形?(当時レーダーはありません)
- 救出後に何か見ていないか?丘、山脈、日本軍の陣地を越えたとか・・?
- 松村中佐は、以前にも滑空しながら別の基地にしっかりと帰還している。“東渡し”を目指せば必ずそこに行けたはずだ。“東渡し”に行くつもりで“南渡し”にたどり着いたなんて事は考えられない。ホシウ廟基地とは異なる方向の“南渡し”を目指したのは何か理由があるはずだ。
①~④を質問状にして五郎おじさんに送りました。するとこんな返事が返ってきました。上記の各質問に対して
- 高度200mとすれば1.5kmほど滑空できる。しかし、高度が200mだったと断言はできない。
- 当時の制空任務地域にはハンダガヤ方面(ずいぶん東の方)から地上部隊に見つからないように迂回して行った。
- 機内備え付けの方位磁石を頼りに北を目指した。
- 草原しか記憶がない。また将軍廟の裏手の大砂丘は越えた記憶がある。当時、ホシウ基地は滑走路を東西方向に使用しており基地の幕舎(本部テント)に向かって滑走路を横切るように南方向から着陸した。(草原なのでどこからでも着陸はできる。)“東渡し”が着陸地点だとするとホシウ廟基地に帰還するまでに日本軍陣地の上空を飛行するし、アライ飛行場、将軍廟基地の上空(付近)を通過するはずである。
結局、確定しているのは、
- ソ連軍渡河地点付近の丘に挟まれた場所の前方に着陸した。
- 真北に飛んでホシウ基地に帰還した。(渡河地点はホシウ基地の真南)
- 砂丘を越えて真南から帰還した。枯れ木が1本生えていた。
- 飛行中は草原以外の記憶がない。