ノモンハン事件現地慰霊の旅 モンゴル・ノモンハン紀行
3.モンゴル、ノモンハン紀行
⑦(平成12年8月25日)ウランバートル市内観光
日程7日目、モンゴル第6日目
スフバートル広場、恐竜博物館、日本大使館、ダシュナムさん宅で昼食会、国立デパートなど、市内観光をする。
朝焼けがきれいだった。朝一番に人民広場?とでも言うのか、中国で言うと天安門広場のような所に行った。(広場の名前はモンゴル革命の志士スフバートルにちなんでいる。)
ちなみに広場の周りにある国の重要な建物のほとんどが日本人抑留者によって建てられたという話だ。我々が見物している時、国会議事堂にVIPらしい車が警察に先導されて入っていった。SPはどことなくカッコ良かった。
次は恐竜博物館へ向かう。渋滞していると思ったら3車線の道路の2車線を塞ぐ形で故障車が止まっている。日本の常識では考えられない話だ(モンゴル人の感覚でもちょっとひどかったみたい)。ここにはゴビ砂漠で発見された恐竜の化石が展示されている。初めて見たティラノサウルスの化石の大きさに驚いた。また、歯の部分にギザギザがあるのは知っていたのだが、それを実物で確認することができた。
【日本大使館】
モンゴルの日本大使館の中に入ることも普通のツアーではパスポートの紛失以外ではほとんど無いだろう。大使は不在の為、館内で大使代理と懇談する。フラワーホテルのバスの運転手とハンダさんは入ることができない。入り口が国境なのだからしかたがない。出るとまたモンゴルだった。
【ダシュナムさん宅で昼食】
ダシュナムさんはNHKの「ノモンハン事件60年目の真実」のラストに出演されていた方だ。放送の中で、ダシュナムさんの一家は国同士の紛争に巻き込まれて、家族同士で戦わなければならなかった事実を話されていた。その時、ダシュナムさんの瞳に微かに涙が潤んでいた事が印象に残っている。しかし、放送を見た時は、まさか自分が1年後にダシュナムさんの家で昼食を食べるとは思いもしなかった。
ダシナムさんのお父さんは、ブリアート・モンゴル(日本人のルーツの一つと言われている)という一族から3000人ほどを引き連れて満州国に入り、ノモンハン事件では日本軍といっしょに戦ったウルジン将軍である。ダシュナムさんも戦前に日本語教育を受け、モンゴルでは日本語学の第一人者である。奥さんは北京大学卒の大学の日本語教授。義理の息子さんは工学博士。お孫さんの一人は東京大学に留学中、もう一人は島根で医者をやっているというとんでもないエリート一家だ。
また、昨年、通訳だった2人(ガンボルト君とオユンナさん)は奥さんの教え子だそうで、フレルバートルさんの娘さんの先輩だそうだ。(とにかくややこしい)
昼食のテーブルに出てきた2種類のビーフン料理が私の口に合っていた。他の料理も口に合わないものはなく、みなおいしかった。つい酔っ払ってしまって写真を撮るのを忘れていたぐらいだ。
ダシュナムの奥さんの終わりの挨拶に妙に感動。なぜか涙が出る。ただ酔っ払っていただけなのかもしれないが・・。
【国立羊毛工場】
会いに行った工場長(女性)は不在だったが、カシミヤやアンゴラ、羊毛製品等が安く買えるという事で大賑わいだ。自分もハイネックのセーターがあったら買うつもりだったが、主に女性物ばかりで気に入る品が無かった。明日、再度訪問する予定で退出。
【お寺の門前のタイバンさんの店】
我々が来たら安売りしてくれる約束で待ってくれてたそうだが、待ちきれずに前日に日本に帰ってしまったそうだ。(この方は日本人の貿易商の方と結婚)店員さんはそんな約束など知るはずもなく「売値を変える権限が無い・・」と困っていた。あちこちで値段の交渉が始まった。私も会社の土産を探したが品数が少なく、買って帰れる物が全く無い。
【国立デパート】
ここで必ず土産を買う意気込みで行ったが、やはり品数が少なく適当なものが無い。また、頼りの通訳ハンダさんともはぐれてしまった。店員にモンゴル・ウォッカの値段を聞いたが通じない。スリー・サウザンド??とか言われてわけがわからない。どうやらモンゴル価格の様だ。そういえばモンゴルの通貨が何か知らなかった・・。
出発直前にハンダさんを発見してウォッカを買うのについてきてもらう。7本買って32ドル14?セントだった。その14?セントをハンダさんがトゥルグで払ってくれた。とても悪いことをしたと思っていると「そんなん気にせんでええよ・・」慰霊団のほとんどが関東からの参加なので久しぶりの関西弁である(彼女は大阪に1年ホームステイ)しかし、通訳なしではウォッカひとつ買えないとは・・。モンゴルに適応した気でいたがそれは気のせいだったのか・・。
【コリア・レストラン】
昼のダシュナムさん宅で食べ過ぎたので食欲が無くほとんど何も食べなかった。木島さんと自衛隊のパイロット教習の話で盛り上がった。パイロット教習については、五郎おじさんに聞いて多少の知識もあったので木島さんの話も良く理解できた。
最後に米軍の“問題解決法”の資料を帰国してから送ってもらう約束をした。“問題解決法”とは米軍の用いる戦術計画を立てる上で柱になる理論だそうだ。しかし、話を聞いていると軍隊だけで用いる理論でなはく、仕事で計画を立てる際に重宝しそうな内容だった。
帰る頃に大雨。モンゴル急に激しく雨が降る。明日は最終日なので早めに寝た。
(追記)ダシュナムさんの呼び名であるが、古くからの参加者はダシヌマさんとかダシュヌマさんとか呼んでいた。ご本人に確認した所、ダシュナムでもダシュヌマでも良いとの事・・。