ノモンハン事件現地慰霊の旅 モンゴル・ノモンハン紀行
3.モンゴル、ノモンハン紀行
以下、出発当日からの旅行記です。
①(平成12年8月19日)出発。関空からウランバートルへ
日程第1日目
【自宅出発】
昼食を済ませ1:30自宅を出発。外は猛暑・・。荷物を減らす為に着替えを少なくしたので汗をなるべくかかないようしたい。JR朝霧駅までは上り坂で1kmほどの距離だ。さすがに17kgの荷物は重い。この猛暑の中17kgの荷物をかついで駅まで歩くなんて考えるだけでも恐ろしい。結局、母に駅まで自転車で送ってもらう事となり、幸いにも母の好意で汗もあまりかかずにすんだ。(登山家にとっては軽装備だろう)
JR三ノ宮で降り、関空行のリムジンバスに乗り替える。バスは渋滞すると関空まで2時間コースと聞いていたが、土曜日の昼間で渋滞の可能性が少ない事、国際線の4Fに到着するので荷物を運ぶ手間が省けるという事、何より料金が安いという理由でバスを選んだ。
【関西空港の待ち合わせ場所にて】
関空まで空港バスで約1時間。4:00には待ち合わせ場所の国際線Hに到着。しかし、だれもいない…。荷物を抱えて歩き回る事もできず。ただひたすら皆が来るのを待った。しかし、定刻の4:30になっても誰も来ない。「規律を重んじる旧帝国陸軍の元軍人の集団なのにいったいどうなってるんだ・・」こんな時、自分が待ち合わせ場所を勘違いしている場合があるので、何回も旅行の案内書を確認したが間違いない。
10分遅れで皆さん到着。軽い自己紹介の後、搭乗手続きを済ませ、控え室で“結団式”を行った。空港の控え室をチャーターしてるなんて、このツアー並みのツアーでは有り得ない事だ。参加メンバーの中には、これまで情報交換をした東京の小田さんもいた。
【関空を離陸】
飛行機は日本航空のチャーター機。定刻の7:00に関空を離陸した。飛び立って30秒ほどで神戸沖の上空。その後、神戸の夜景を見ながら明石海峡大橋付近(自宅の上空)で進路をソウル・北京方向に取りウランバートルへ。進路変更のためにに自宅は見なかったが、土曜の夜、自宅上空で西に針路変更する飛行機は、このルートの飛行機だということがわかった。これから会社の帰り道でこのルートの飛行機を探してみよう。
【北京上空を通過】
3時間ほど経過した頃、北京の上空を通過した。はじめて見た北京の夜景は想像していた以上に明るいかった。こんな時間帯でも明々とした街並みが機下に広がっている。この下にどんな人々が生活しているのか?想像力をかきたてられる光景だ。
北京を過ぎてから先、ウランバートルまでは何もない草原と世界地図では認識していたが、そんな中でも所々に明かりが見える。「人間が生活しているのだろうか?電気が通っているのだろうか?」素朴な疑問が頭をかすめる。真横を見ると満天の星空。しし座流星群の時にニュースで見た天体観測機からの映像と同だった。その下半分は暗黒の水平線。しばらくすると水平線から月がゆっくりと上がってきた。飛行機から見る月は少し不気味な感じがする。普段、月は見上げる物だが、今は自分より下に月が見えるのである。
暗黒の水平線の下に河か池があるのだろうか?月の光が所々で反射して見える。なんとも奇妙で美しい光景だった。
【ウランバートルに到着】
深夜、ウランバートル上空に到着。外を見ると暗い。さすがにこの時間帯では街の明かりも少ない・・いや明かりそのものが少ないのか?着陸の為、飛行機が大きくターンした時にウランバートル国際空港の滑走路の明かりが暗闇に浮き上がる様に見えた。
無事着陸。機外へはタラップで降りる覚悟をしていたが、そこはさすがに国際空港。ちゃんとゲートが付いていた。空港施設にはいるとあちこちで出迎えの歓迎の声。TV局が来てる集団もあり大騒だ。入国審査を終えて荷物を受け取ると、我々にも出迎えが来ていた。その中にNHKの「ノモンハン事件60年目の真実」に出ていたダシュナムさんがいた。「なんでこの人がいるんだ・・!」どうやら永井団長とは旧友の様である。
他には現地の旅行会社のトゥーラさん(女性)や通訳のドゥルジュハンダ(女性・通称ハンダ)さんが来ていた。トゥーラさんは“エクスプローラー・トラベル”の社長さんで、毎回このツアーのお世話係兼通訳として大活躍。モンゴルでの準備・段取りは全てトゥーラさんがやっていて、彼女なしでこのツアーは成り立たない。今回初めて参加のハンダさん。日本語(標準語)がペラペラでどう見ても日本人。留学??と聞いたので、日本からモンゴルに留学してるのかと思ったら、実は大阪に1年間ホームステイしていたという話しである。現在、ウランバートル大学の国際言語学科の修士過程の24才。お父さんは大学教授、お母さんは学校の先生というモンゴルの超エリートだ。
【深夜のウランバートル市内】
一路、今夜の宿のフラワーホテルへ。深夜を過ぎているにもかかわらず案外人通りが多い。ホテルの前にはたむろしている若者たちがいる・・日本と同じだなと思った。
(※各写真は日中のフラワーホテルの様子)
ロシア風の造りというのだろうか?なんとなくホテル全体が殺風景で古びた感じの造りだ。部屋は小田さんと一緒。なんと言っても日本との大きな違いは2重窓だろう。真冬は-40度にもなるので当然だろう。
早速シャワーを浴びて床に着く。水は錆臭く、錆の欠片が混ざってザラザラしていたが「ここは日本じゃない」と開き直ると、案外気にならなかった。湯が出にくく、水は夏にもかかわらずシャワーとして使えないほど冷たい。ふと、外国では断水が多いので洗面器に汲み置きしてから使うのが鉄則だと言う事を思い出した。全く緊張感も無く、ぐっすり眠る事ができた。