ノモンハン事件現地慰霊の旅 モンゴル・ノモンハン紀行
1.モンゴルに行くきっかけ
③絵と対面するまで(複製品との出逢い)
自分で絵を探すと言っても、絵の所在の情報は2つだけ。
「原画は奈良のどこかの陸上自衛隊に飾ってある。複製品は靖国神社にある」この言葉を頼りに、まずインターネットで兵庫県の陸上自衛隊の広報を捜し、奈良の自衛隊の電話番号を教えてもらいました。しかし、奈良には陸上自衛隊はなく航空自衛隊の幹部学校だけです。話しがすこし違うな?と思いながらも、奈良航空自衛隊幹部学校に電話を入れました。
学校内が広く複数の部隊に分かれているので広報室を探し当てるまでに少々時間がかかりました。あいにく広報室長は外出中。夕方に再度電話をかけることになりました。
2度目の電話で広報室長の西田さんと直接お話する事ができました。自分の探している絵の話すると、確かにそのような絵があるとの話し・・・。それも最近になって基地内の引っ越をするまでは倉庫に眠っていたと言うのです。絵の保存状態は悪いとの事でしたが、早速、母と都合をつけて見に行く事になりました。
また、複製品があると言われている靖国神社に電子メールでたずねてみた所、下記の返事がメールで来ました。
「さて御問い合わせの絵画の件につき回答致します。御申し出の絵画は従軍画家 深澤 清 画伯による「空の武士道」と題する絵です。この絵画の写真を現在神社の境内にある宝物遺物展示館「遊就館」に展示致しておりますので機会が有りましたらご覧下さい。」
実は東京に住んでいる私の叔父(母の弟)は、靖国神社でこの副製品を見たことがあるというのです。その直後、母が東京に用事ができたため、都合をつけて靖国神社に複製品を見に行く事になりました。
東京から戻った母は残念そうな表情でした。副製品は展示のローテーションの関係で飾られていなかったと言うのです。しかし、深澤画伯の「空の武士道」シリーズの他の作品は飾ってあったというので写真に収めていました。(後日、その絵は綏遠・包頭での能登大尉救出を描いたものであるとわかりました。)
複製品と対面する事はできなかった母ですが、東京の私の叔父(母の弟)から、以前に撮影した写真をもらってきていました。実物の写真ではありませんでしたが、初めて見る絵の感想は「なるほど!納得!」でした。写真は副製品(2枚の写真を合成)を撮影しているので色が白黒に近いものでした。ずっと思い描いていたイメージとは少し違いましたが、構図的には確かに小学生の頃母から聞いた内容そのものでした。
モンゴルの草原で転覆して炎上している97式戦闘機。尾翼の下敷きになっている隊長を引きずる出している西原曹長、
その背後には西原曹長機、そして遥か向こうにはソ連軍の戦車が2台が見え、稜線の彼方に戦場から立ち上る煙が見えているというものでした。
(←母が広告の裏表紙に描いてくれた絵では、隊長機は複葉機でかつ、転覆していなかった。)
絵の説明には
「比の写真はノモンハン事件において空陸の戦斗激化の昭和14年8月4日、ハルハ河上空の空中戦で被弾した戦隊長機が敵地に着陸、転覆した際、僚機西原曹長が決死の着陸を敢行、燃えあがる九七式戦斗機の下敷きとなっていた松村戦隊長を救出した情景で、従軍画家
深沢 清氏の描いた油絵を模写したものである。昭和44年8月18日ハルピン・ハイラル駐屯航空部隊会奉納」
とありました。どんな経緯でこの絵が描かれたのか、なぜこのような構図になっているのか?非常に興味が沸いてきました。想像すればするほどこの状況での救出は不可能に近い・・。見ているうちにぜとも実物を見てみたいという気持ちが強く沸き起こってきたのです。