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ノモンハン事件現地慰霊の旅 モンゴル・ノモンハン紀行

1.モンゴルに行くきっかけ

①小学生時代に母から聞いた絵にまつわる話し

  小学生の頃、私を含め周りの友人たちは戦車や戦闘機が大好きでした。確か小学5・6年の頃だったと思います。友人の一人が私に、「親戚に太平洋戦争で戦った人はいるかい?」と聞いてきました。その夜、私は両親に同じ質問をしてみましたが、両親の返事は「そんな人いないねぇ~」というものでした。
  それから、しばらく経ってからのことです。夕食が終わり食後の果物を食べていると、突然母が「太平洋戦争じゃないけど、五郎おじさん(母の叔父)がこんな体験をしたよ」と言って、語り始めたのです。

mong01a  ノモンハン事件という太平洋戦争より前の戦争で、五郎おじさん(西原五郎;当時、曹長)は戦闘機のパイロットでした。ある日、空中戦の最中に隊長機が攻撃され、草原に不時着しました。しかし、そこは敵の陣地のど真ん中だったのです。五郎おじさんは隊長を助けるために草原に着陸して、燃え上がる飛行機から隊長を引きずり出して自分の飛行機に運び込み、無事に基地まで帰ってきたと言うのです。その功労により勲章をもらい、その時の話しが有名になり油絵になったという事でした。まるで映画の中の話の様です。ほんとうに驚きました。
  また、父はこの話しを少年時代に雑誌(少年倶楽部)で読んで非常にハラハラドキドキした事が印象に残っていたというのです。そして戦後、母と結婚してしばらくしてから、その人が母の叔父さんだと知り愕然としたそうです。(自分たちの結婚式に来てたのに知らなかったとか・・)

mong01b  「小さい頃に見た絵だったからあまり覚えていないけど・・」と言いながら、母は広告の裏表紙に鉛筆で絵の記憶を描いてくれました。母が広告の裏表紙に描いてくれたのは、草原で炎上する戦闘機、隊長を引きずり出している姿、稜線の向こうから敵の戦車や兵隊がやってくる・・そんな感じの絵でした。

  小学生だった私は戦争の愚かしさなど深く理解しておらず、母の話を聞いてただ単純に冒険心をくすぐられたのでした。そして次第に想像力は膨らんでいき、その光景を何回も心のスクリーンに想い描くことになります。そして、その後24年間、心の片隅で「どんな絵だろう?」と思い続けることになりました。