ノモンハン事件現地慰霊の旅 モンゴル・ノモンハン紀行
2.モンゴル・ノモンハン紀行
①平成13年8月19日(日) モンゴルに向けて出発。
【自宅を出る】
盆休みが終わり、2日間出社して出発の日を迎えた。台風が近づいているが影響はまだ出ていない。8月にしては暑すぎる事もなく天候は良好だ。荷物はアタッシュケースとリュックサック。今回の荷物の総重量は27kg。アタッシュケースの重量6.5kgを差し引けば昨年とほぼ同じである。昨年はJR朝霧駅までの1kmを、自転車の母について来てもらって20分かけて荷物を運んだが、今年は山陽電鉄西舞子駅までのんびりとアタッシュケースを転がして行った。盆休みの間に25kgの水タンク運びをやっていたので、アタッシュケースひとつは軽いものだった。10分ほどで難なく西舞子駅に到着、電車に乗る。JR舞子駅でのJRへの乗り換えも、飛び乗る事が出来たのでスムーズに行き、JR三宮からの空港バスも順調だった。(日曜の昼からの込み具合は予測がつかなかったのだが・・)
本日は本当に天候が良い。夏の日には珍しく”もや”がかからず、須磨浦から対岸の関西空港方面の景色がきれいに見える。逆の関西空港連絡橋の辺りから明石海峡大橋のたもと、JR舞子駅の周辺が良く見えた。Tio舞子・舞子ビラの高層ビル。舞子タワーの観覧車のタワーも微かに見えた。地球の丸みのせいで明石海峡大橋の橋脚の高さが少し低く見える。
【関西国際空港にて】
関西空港国際線フロアーの集合場所に行くと、皆さん既に集合されていて私が一番最後だった。皆さんから「お待まちしてましたよ」とか「一番近い人が一番最後だったね~」などと言われながらも、仲間に迎えられているのが感じられた。ともかくこのメンバーでこれから八日間、寝起きを共にするのだ。ワクワクした気分になってきた。しかし、その気分も荷物を預ける時に吹き飛んでしまった。エアー・ダスターのスプレーが荷物検査で引っかかってしまったのだ。カメラに付いた土埃を掃う為に直前にわざわざ購入した物だ。スンベルでの土埃は尋常ではない。電池の裏蓋の中にきな粉の様な土埃が入ってくる土地である。今回の備品の目玉になるはずの物だった。荷物検査上、気圧の低い上空では危険物であるので仕方が無い話である。しかし、腹が立つのは保管ののち帰国後に返却ではなく廃棄だった事だ。また、なぜ殺虫剤のスプレーはOKなのか?とにかく仕方が無いとは言え良い気分ではなかった。
荷物を預けてから予約ルームで結団式を行う。搭乗までに時間がないので早々と済ませる。搭乗手続きをする時のX線持ち物検査で必ずズボンのベルトで引っかかるのは慣れっこだ。手早く検査を済ませる。
いつもの免税店でモンゴルへの土産を購入した。昨年道案内してくれた、ジャンツァン中佐やドライバーがまだいるかどうかわからないが、ともかくタバコ2カートンとお菓子を2袋購入した。初めに現地の人の好きそうなマルボロを選んだが、更に好きそうなハイライトに変更。しかし、福岡から参加の石橋のお母さんが「これ(マイルドセブン)だと双眼鏡が付いてくるとよ・・」と教えてくれたので結局マイルドセブン2カートンとなった。おもちゃの様な双眼鏡であったが、モンゴルの夜空の星を見るのに大変役に立った・・・。
【モンゴルに向けて離陸】
無事搭乗完了。横は山梨から参加の和光さん。和光さんは今回で3回目だそうだ。初回は10年前、2回目は大雨でハルハ河を渡れなかった平成10年(中国で大洪水があった年)だそうだ。特に10年前は蚊が非常に多くて、草原で立ち小便ができない程ひどかったとか・・・そんな話を聞いているうちに中国の青島の上空を通過して早々にモンゴル・ウランバートルの上空だ。今回は時間も早いので夕方(と言っても既に9時ごろ)の道路を走る車のヘッドランプが上空から見えた。日本と違って草原を走る1本道だから、そこを等間隔で連なる車のヘッドランプはとても綺麗であった。
【モンゴル・ウランバートル国際空港】
21時45分、ウランバートル国際空港に無事着陸。税関で成田山新勝寺の荷物のお供え物の造花や国境警備隊への土産のタオルにクレームが付いた。理由は「モンゴル国内で売るつもりではないのか・・?」である。大きな段ボール箱に造花やタオルがぎっしり詰まっているのだから、輸入と間違われても仕方がないかもしれない。「我々はハルヒンゴル戦争の慰霊団である・・」添乗員の石井さんが説明するがなかなか信じてもらえない。ひと悶着の末にやっとOKが出た。私のスプレー缶と言い、何かと波乱の幕開けである。
【フラワーホテルに到着】
トゥーラさんたちスタッフの出迎えを受る。トゥーラさんは私の顔を見るなり「今年は見つけましょう」(笑)。昨年も手伝いに来ていた少年バッツールは茶髪に染めていたので、邦弘さんが笑いながら冷かしていた。専用バスに乗り込み23時にフラワーホテルに到着。部屋は永井邦裕さんと同じだった。邦裕さんは永井団長の部屋で明日からの打ち合わせをするために早々と出て行った。明日の段取りをして風呂に入ると、お湯は昨年より出が良い。蛇口をひねると始めに鉄錆のかけらが出てくるのも慣れたものだ。風呂に入ってから昨年のように熟睡するはずだったが、どうも上手く寝付けない・・・。なんとなく直前のバリ島社員旅行での睡眠不足が思い出される。そんな状態で気が付くともう2時になってしまった。そこに邦裕さんが戻ってきて「オヤジの部屋にいったらよ。ダシュナムさんや(フレル)バートルが来てたんで、帰えれっかよ・・・」既にモンゴルの知人達が聞きつけて団長の所に集って来たのだ。こういう所が普通のツアーとは違う所だなと痛感・・・。それからどういう訳か私の昨年の「ハルハ河南渡し行き」の話になってしまい、昨年の写真等を邦裕さんに見せて説明していると時間はもう朝の3時だ。
出発の天候は最良だったが少々波乱?の初日だった。
【おまけ】
添乗員のジャパンネットワークの石井さんが機内備え付けの雑誌の裏表紙に写真が載っていた。フラワーホテル駐在の日本語スタッフということであった。