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ノモンハン事件現地慰霊の旅 モンゴル・ノモンハン紀行

4.後日談

①日本航空;瀬戸川さんの話し。

  後日、ノモンハンに同行した日航機関部の瀬戸川さんから手紙が来た。仕事仲間のパイロットにノモンハンでの話しをした所、私の話しが出て西原五郎の救出劇の話題になったそうだ。するとパイロット仲間の方たちは、研修で奈良航空自衛隊幹部候補生学校で西原五郎に教わった事がある・・・そうでした。直接教わったのか?話しを聞いた事があるのかそれは定かではないが、瀬戸川さん曰く「世間は本当に狭いですね・・・」本当にそうである。


②慰霊団;木島さんの着陸点の考察(2002.08)

  慰霊団の木島さんに昨年、一昨年の調査レポートを送付した後の事である。その時点では、着陸地点は私の調査地点からさらに東に4km程ずれた場所にあるかもしれない・・・と考えていたのだが、あっけない木島さんの一言で解決した。実は木島さんは97戦で飛行教習を受けた事もある元飛行機乗りである(終戦後は航空自衛隊でパイロット教官をされていた)
  地上が活動範囲の我々では想像もしない法則が空の世界にはある事がわかったのだ。我々が移動する時は”北”なら磁石で北を目指して行くのが常識であるが、空(海も同様)では風向きを考慮しなくてはならないのだ。つまり真北を目指す時、風が西から吹いている時は北北西に進路をとらなければ真北にはたどり着かないのだ。この事から西原五郎が磁石で真北を目指した時に西から北西より風が吹いていたならば40kmの飛行でいとも簡単に4kmほど東に流されるのだ。当然、その日に北西の風が吹いていたか?という疑問があるが、現地で感じたのは、雨や風は必ず北西の方角から来ると言う事である。
  「風の影響を考慮せよ・・」この話を木島さんから教えていただいた時、ほぼ私の調査した場所が着陸地点であると言う結論に達したのである。(ただし、更に東方面の追加調査は必要)


③ソ連軍戦闘機、I-16について情報を入手

(ニュージーランドにて2002.08)
  2002年、私は長年の夢であった「海外でのヘリスキー」を実現する事が出来た。ヘリコプターに乗り、リフトのかかっていない山を滑るのはスキーヤーである私にとって最終目標とも言える夢だった。お盆休みに訪れたのは南半球のニュージーランド。今年はノモンハンでの調査は忘れて・・・のはずであったが、実はニュージーランドでもノモンハンはついてまわった。
  ニュージーランドに到着して早々に私が得た情報は、10年ぶりとも言える異常気象のお陰で、ヘリコプター飛べない天候が4日間続いているという事実だった。普通のスキー場も悪天候のため閉鎖となり、初日からする事が無かった。私が来た時に限ってこんな天候とは・・・そこで観光、という事になったのだが、以前、ノモンハン事件で使用されたソ連軍のI-16がどのような戦闘機なのか?を調べていた時に、ニュージーランドにはI-16が置いてある戦闘機博物館があるという事がわかったのだが、今回、よくよく調べると、私が宿泊したクイーンズタウンと言う町から車で2時間の”ワナカ”という町にその博物館があるという事がわかったのだ。これは行ってみるしかない!という事で行ってみた。
  ワナカ空港の側にある「NZ Fighter Pilots Museum」の格納庫には飛行可能な状態のI-16が3機、I-153が2機あった。他の格納庫にはまだあったのかもしれない。I-16は全部で4機あるようだ。世界に唯一現存するI-16とI-15の機体だそうだ。(飛行可能な状態で・・・という意味だったかもしれないがロシア国内にもほとんど無いようである)ここは世界的にも非常に有名な飛行可能な戦闘機を置いている博物館で、年に1回は航空ショーのような事もやっているらしい。
  実は昨年(2001年)にハルハ河で発見した、スカイブルーの塗装がある航空機の残骸がI-16の物かどうか?実物と比較すればわかるのではないか?と思い、現在資料を博物館に送るべく作成中である。
  なお、無事にニュージーランドでのヘリスキーは体験する事が出来ました・・・。